投稿

ラベル(視点)が付いた投稿を表示しています

芸術の変容——制作者の視点から

  芸術の変容——制作者の視点から  現代、芸術は説明なしに成立しないものが多い。展示室の壁にはコンセプトの文章が貼られ、作品よりも長い解説が求められる。自分はその逆の方向を向いている。静止画の内部に、説明なしに「見えてしまう」知覚の揺れを生む双構図という手法を制作している者として、古代から18世紀にいたるこの歴史を振り返ると、見えてくるものがある。それは進歩の歴史ではなく、ある種の喪失の過程だ。  まず注目したいのは神話の時代である。ヘレネの物語が「主流版」と「エジプト版」として矛盾したまま共存しているという事実は、神話が「一つの正解を伝達するメディア」ではなく、「差異を内包したまま持続する構造体」であることを示している。特に注目したいのは、エウリピデス自身が両方を書いているという点だ。これは作家の矛盾ではなく、神話の本質的な在り方への自覚的な応答ではないか。「本物のヘレネ」という問いは解決されることなく宙吊りにされ、その宙吊り状態そのものが意味の場となっている。ヘロドトス版とエウリピデス版の「あいだ」には位相差があり、どちらかが真実なのではなく、その差異の「間」にこそ神話の生命力が宿っている。双構図が目指すのもその構造に近い。二つの画像のどちらが正解かではなく、その間に生まれる知覚の運動が作品の核心である。神話の時代、人間はまだ「差異の共存」に耐える力を持っていた。  ギリシア悲劇はポリス市民全員が参加する儀礼的経験だった。個人の鑑賞ではなく共同体の知覚経験として芸術は機能していた。中世においてもその構造は続く。スコラ哲学、宗教劇、グレゴリオ聖歌——すべてが神という一点に向かい、共同体が同じ方向を向いていた。ゴシック大聖堂は数百年をかけて建てられ、作者は完成を見ることなく死んだ。作者が消え、芸術が人間の外側にある何かへと向かっていたからこそ、個人の射程を超えた深さが生まれた。深さとは時間の産物だった。  転機はギリシア哲学に既に潜んでいた。「世界への問い」から「人間への問い」へという移動——これが変容の最初の引き金だった。矛盾を共存させていた神話的思考が、論理によって一つの正解を求める思考に置き換えられた瞬間、差異の共存は許されなくなった。ルネサンスで作者が前景に出て、署名が現れた。デカルトが「考える私」を確立した瞬間、主客は決定的に分裂した。芸...

Mooving Picture——揺れる静止画論文外思想体系の構築に向けて

Mooving Picture——揺れる静止画 論文外思想体系の構築に向けて  新川芳朗 2026年5月 出発点 本構想は、修士論文「双構図」および理論的枠組み「微小位相差論」の外側に建てる思想的骨格である。論文が写真論として完結するのに対し、本構想はその根拠を遡及的に掘り下げ、写真を起点とした普遍的知覚論として展開することを目的とする。 タイトルについて Mooving Picture。Moving Picture(映画)から完全な運動を抜き、揺れの手前で止めた語である。映画になりきれない、しかし静止もしていない——その中間域に、この語は置かれている。 この語には来歴がある。Moovingは造語ではなく、moveの古語的綴りmooveの現在分詞として17世紀の英語に実在した。ミルトンの『失楽園』(1674年)にも用いられており、その後現代英語のMovingに収斂して脱落した語である。Mooving Pictureというタイトルは、英語史の中で脱落した語を写真論として復活させる行為であり、フォトルネサンスという概念体系の中でタイトルの語そのものが前進的な遡及を体現している。 Moving Pictureが時間の顕在化であるとすれば、Mooving Pictureは時間の潜在化である。静止画が静止画のまま揺れ動く——その状態の固有名として、この語を定義する。 基本原則 写真が哲学に先行する。 微小位相差論は、写真を説明するために構築された理論ではない。40年以上にわたる写真的経験が、強制的に召喚した理論である。したがってモンテーニュをはじめとする思想的先例への接続は、根拠を借りに行く行為ではなく、写真の経験から遡及的に発見する行為である。この方向性は一切変わらない。 中核概念 Differential Stillness(差異的静止) 微小位相差論の英語的等価物として。差異と静止という矛盾する二語を解消せずに保持する語。術語が概念を説明するのではなく、術語が概念そのものである状態。静止画が静止画のまま揺れ動く——その構造が語そのものに内在している。Mooving Pictureは、このDifferential Stillnessが生起している写真の別名である。 The Rupture of Stillness(静止の断裂) Diff...

博士論文草稿 2025筆

イメージ
  微小位相差理論と現代写真表現:存在・運動・意図の統合的理解 新川 芳朗 所属:京都芸術大学大学院 芸術研究科 芸術専攻 写真情報領域 2025年11月 序論:写真の定義の揺らぎとパラダイム転換 写真は1839年にダゲールによって発明されて以来、「光を記録する技術」として認識されてきた。カメラのレンズを通して捉えた光をフィルムやセンサーに焼き付けることによって、一瞬の現実を固定化することが可能となり、それが絵画や他の視覚表現と明確に異なる本質的特徴となった(Sontag, 1977)。ロラン・バルトは『明るい部屋』において、写真の本質を「それは=かつて=あった」(ça-a-été)という過去の実在性の証明に見出した(Barthes, 1980)。この「指標性(indexicality)」こそが、写真を他の画像メディアから区別する決定的要素とされてきた。 しかし21世紀に入り、デジタル技術の発展は写真の定義を根底から揺るがしている。特に2020年代以降のAI技術の急速な進展により、拡散モデルやGANを用いた画像生成は、現実に存在しない被写体の「写真」を生成可能とした。スマートフォンにおけるコンピュテーショナルフォトグラフィーは、撮影後に光源や焦点、被写体の配置を操作できるため、「光学的記録」という従来の定義では説明しきれない状況を生み出している。William J. Mitchellが1992年に『The Reconfigured Eye』で予言したデジタル時代の写真の変容は、現実のものとなった。 同時に、写真の社会的機能についても再考が必要である。ドキュメンタリー写真は20世紀を通じて、戦争、貧困、環境破壊などの社会問題を可視化する重要な手段であった。ユージン・スミスの水俣病報道写真、ロバート・キャパの戦争写真、セバスチャン・サルガドの労働者写真などは、現実の悲惨さを世界に伝えた。しかし同時に、これらの写真が問題の根本的解決に直接寄与することはできなかったという限界も指摘されてきた。スーザン・ソンタグは『他者の苦痛へのまなざし』において、悲惨な写真を繰り返し見ることによる感覚の麻痺と、傍観者としての無力感を論じている(Sontag, 2003)。 本論文は、私自身の40年間にわたる写真実践を理論的に省察し、「微小位相差理論」という独自の概...

写真の限界

写真の限界と写真家の新たな役割 — 環境再生への直接的アプローチ 序論 写真は、戦争や環境問題を可視化し、社会的意識を喚起する力を持つ。しかし、ドキュメンタリー写真が問題を記録し、啓発する一方で、実際の解決にはほとんど寄与しないという限界が指摘されてきた(Sontag, 1977)。本論文では、写真の限界を分析し、筆者が写真家として取り組んだ無農薬・無肥料の米作りを例に、写真家が環境再生に直接関与する新たなスタイルを提案する。具体的には、熊本での農業実践を通じて、写真家としての視点が環境問題にどう貢献し得るかを考察し、他分野への応用可能性を議論する。 写真の限界:傍観者の視点 ドキュメンタリー写真の役割と限界 ドキュメンタリー写真は、社会問題を視覚的に伝える強力な手段である。例えば、ユージン・スミスの水俣病写真は、公害の深刻さを世界に知らしめた。しかし、水俣病の解決は写真ではなく、法廷闘争や政策変更によって進展した。同様に、戦争写真家ロバート・キャパの作品は戦争の残酷さを訴えたが、戦争そのものを終結させることはなかった。これらの事例から、写真は「傍観者」としての役割に留まり、問題解決には直接寄与しない限界が明らかである。 New Topographicsの試みと限界 1970年代の「New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape」(Adams et al., 1975)は、人間が変えた風景を客観的に捉え、環境破壊への意識を喚起した。ロバート・アダムスやルイス・ボルツの作品は、都市化や工業化の影響を視覚化した。しかし、このスタイルも問題の可視化に終始し、解決策の提示や実践には至らなかった。写真は問題を「見せる」力に優れるが、行動や変革を生み出す力は限定的である。 写真家の考える農業:環境再生の実践 筆者の背景と動機 筆者は、大学時代に水俣病、有明海の汚染、熊本震災をテーマにドキュメンタリー写真を撮影してきた。これらの経験を通じて、写真が記録としての価値は高いものの、環境問題の解決には直接寄与しない限界を感じた。そこで、写真家としての視点—環境への敏感さや美的感覚—を活かし、農薬・肥料不使用の米作りを2015年に開始した。当初は1反(約0.1ヘクタール)の小さな試みだったが、10年後の2025年に...

写真の歴史と盲点 

イメージ
写真の歴史と技術的進化 写真の歴史は、約200年前のジョゼフ・ニセフォール・ニエプスによる「用意された食卓」(1822年)や「ル・グラの窓からの眺め」(1826年頃)に始まる。これらはヘリオグラフィーと呼ばれる技法で、感光材料に画像を定着させた世界初の写真である。1839年、ルイ・ダゲールがダゲレオタイプを開発し、商業的な写真の普及が始まった。ダゲレオタイプは高精細だが複製が不可能だったため、1841年にウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットがポジネガ法を用いたカロタイプを開発し、複製可能な写真を実現した。その後、サイアノタイプ、コロディオン法、ソルトプリント、アルビュメンプリント、銀塩フィルムなど、感光材料の進化が続き、20世紀には市販フィルムが普及。21世紀に入るとデジタル写真が主流となり、撮影の敷居が劇的に下がった。技術の進化は写真を撮影する層にも影響を与えた。黎明期の写真家は科学者だったが、カメラの小型化によりブルジョアジーや冒険家が写真を活用し、商業写真家やアマチュア写真家が生まれた。自動化カメラの登場は家族写真やスナップ写真を一般化し、デジタルカメラの普及は写真の大衆化と表現の多様化を加速させた。 保存性の課題 写真の盲点 写真の歴史は感光材料の感度向上やカメラの小型化に焦点を当てて発展してきたが、画像の長期保存性はほとんど考慮されてこなかった。たとえば、ニエプスの「用意された食卓」や「ル・グラの窓からの眺め」は、歴史的価値が高いにもかかわらず、画像の退色や劣化が進んでいる。古典技法の多く(サイアノタイプ、ソルトプリントなど)は、紙やガラスに感光材料を塗布するだけでバインダーがなく、紫外線や湿気による劣化が顕著である。私の実験では、顔料ベースのサイアノタイプですら、屋外の紫外線に数十日さらされると画像がほぼ消失した。日本の高温多湿な気候では、生物劣化(カビや虫害)も深刻な問題である。支持体として一般的に使われる紙は、酸性度が高い場合、数百年の保存が難しく生物劣化が高い。ダゲレオタイプの銅板は耐久性は高いが、表面の感光膜は傷つきやすく、長期保存には限界がある。このように、写真は「50年や100年」ではなく、「500年や1000年」の保存を保証する技術が欠如している。一方、油絵や日本画は、管理状態が良ければ、顔料の安定性や支持体の耐久性により、数百年の...

Selectively Bleaching A Cyanotype Print

イメージ
  ホワイトビネガー原液によるブリーチ

unique

イメージ

Architectural planning ideas

イメージ

有明海と不知火海

イメージ
私はこの海の両方に興味がある。 これらを分け隔てなくどう結びつけるかの結論が出たようだ。 調べて行くと有明海は200万年前は黄河の支流であったようだ。 下図は有明海再生機構のサイトから流用。   http://www.npo-ariake.jp/ariakekai/about/ この図からも分かるようにこの過程以降、有明海と不知火海の地理的な差異は無いではないが、非常に微々たるものと受けとめた。 現在の地図を見ても有明海は不知火海と繋がっており、東シナ海を出口とする同じ閉鎖性海域だ。 写真家に必要なものは固定観念を取り去る事。 しかも空想ではなく事実であることが私の場合必要だ。 不知火も有明も同じ視点で撮れる。 先日久しく津奈木方面に赴いたのでカメラを構え数カット切った。 確かに繋がった海とは言え景色はまるで違う。 でも私には新しい視点が常に必要だ。 この視点で不知火海も撮ろうと決める。